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インタビュー: KISS のポール・スタンレーとエリック・シンガー

少年期のサウンド・トラックと言える曲を創り、実際にパフォーマンスしてきた人物たちと腰を据えて話をするのはエキサイティングであるが、同時に怖くもある。今夜、この東京でポール・スタンリーと、キッスのメンバーであり元ブラック・サバスのドラマーであるエリック・シンガーと話す機会が持てたのは、彼らが現在、サイド・プロジェクト“ソウル・ステーション”で、若い頃の彼らに影響を与えたソウル・ミュージックに立ち戻っているからだ。故にこの会話は、僕の青春期の音楽と彼らのそれとのコンビネーションなのだ。

このインタヴューは、ソウル・ステーションの日本公演(ビルボードライブ東京と大阪で計12回)が始まる前夜に、東京で行なわれた。その始まりは、腕時計と現代アートについての雑談からだった。

「いい時計をしているじゃないか」

とエリックが言う。彼は2015年に腕時計製造最高賞を選ぶジュネーヴ・ウォッチメイキング・グランプリの審査員を経験者している。

「バスキア(注 : ジャン・ミシェル・バスキア。ニューヨーク・ブルックリン生まれの画家。1988年8月12日、27歳で亡くなる)っぽいな……というか、まるでバスキアの作品みたいだ」

と今度は画家でもあるポールが、僕の着ていたオーストラリア人の現代アーティストで“歩く創造家”ジェームズ・スミスのオリジナル手描きTシャツを見て言う。そして話題はすぐに音楽へとシフトした。

1991年にエリックがキッスに加入してポールと共演することになる以前、彼は1989年のポール・スタンリー・ソロ・バンドに参加してプレイしていた。今日の30年に及ぶ長いパートナーシップが始まったのは、ブラック・サバスやリタ・フォードのドラマーだったエリックが、1980年代後半にバッドランズに在籍していた頃だった。オジー・オズボーンのギタリストであるジェイク・E・リーとブラック・サバス時代の同僚だったレイ・ギランをフィーチャーしたバンドだ。彼らのデビュー・アルバム『BADLANDS』は、1989年にレコーディングされていた。

エリック(以下E):俺がポールと出会ったのが、まさにバッドランズのアルバムをレコーディングしていた時だった。ニューヨークにいたんだよ。ベース・プレイヤーのデニス・セント・ジェイムズ(注 : 当時デニスは、ボブ・キューリックのバンド“スカル”のヴォーカリストで、ポールのソロ・バンドへはボブ経由で参加している)がポールのバンドでベースをプレイしていたんだけど、彼のマネージメントが俺と同じだったんだ。彼はある日、マネージメントのオフィスに行って話をしたらしいんだ。『エリックは今何をしているかわかるかい? ポール・スタンリーがドラマーを探しているんだよ』『エリックは、ちょうどアルバムのレコーディングが終わって帰るところだ。数か月の間缶詰だったからね』ってね。彼は他のプレイヤーだけでなく、俺のことも推薦してくれたんだと思う。それでポールのオフィスから電話が入ったんだ。デレック・シモンからね。その電話で『ポールに会ってみないか?』と言われたよ。

運命ってものがいかに作用するのか教えてあげよう。その時俺が滞在していたホテルは、キッスのオフィスから角を一つ曲がったところにあった。だからすぐにポールに会いに行けた。ブラック・サバスのアルバムを数枚と、他に自分がプレイしたものを持参したのを覚えているよ。ポールとは雑談していたな。俺は次の日の朝に帰る予定で、その日の夜はレコード・プラント・スタジオに行くことにしていた。スタジオではオーヴァーダビングの最中で、俺は時間を潰していたんだ。すると真夜中だったかな。俺たちと契約していたA&R担当のジェイソン・フロームがスタジオに現れて、『君がポール・スタンリーのソロ・バンドでプレイするって聞いたよ』と言うわけ。で、俺は、『え? 誰からも何も聞いてないぜ』って言ったんだけど、『さっきチャイナ・クラブでポールに会ったら、彼がそう言っていたよ』ってね。それでやっと理解できたってわけだ。

ポール(以下P):驚きだな!

E:俺は今でも当時のことを鮮明に覚えているよ。1989年の初め、1月くらいだった。

癌で亡くなったエリック・カーの後任として、エリック・シンガーは、今日のキッスにおいて、その地位を確立している。そして、ポールとジーン・シモンズとの歴史は、さらに20年も長い。

E:ジーンとポールを除けば、俺が最長のキッス歴を誇っているんだよ。

P:俺とジーンは、もう49年になるよ。

E:ジーンと出会ったのは何年だい?(……と言った後、ポールが答える前に)『俺が17歳の時。あの運命の日に……』だね。

P:汚点として残る日だ(笑)。

出会いから29年を経て、ポールとエリックはより幅広く共演するようになった。キッスに加えて、13人の強力なソウル共同体であるソウル・ステーションでも一緒なのである。エリックは数年前に始まったソウル・ステーションのアイデアについて説明を始めた。

E:ポールの子どもたちが通っている学校は、年に一度募金イヴェントをやるんだよ。アーティストやミュージシャンの子どもたちがたくさん通う学校なんだ。ある日ポールが、『レッド・ツェッペリンやフリーみたいな、クラシック・ロックをプレイするクールなギグをやることになった』って言うんだ。ポールはカッコいいバンドを結成して、LAのダウンタウンにある自然史博物館でプレイしたんだ。本当に最高だったし、その次の年も同じようにプレイして欲しいと言われたんだって。

でもポールは『何か違うことがやりたいな。ずっとモータウンなんかをプレイしたかったんだけど』って言うんだよ。それで、このバンドができたっていうわけだ。ソウル・ステーションはとても楽しくてイカしてるよ。それにこのバンドは基本的に自然に出来上がっていったようなもので、その数年後が今の俺たちってわけだ。その学校でプレイした日に、フー・ファイターズやブッシュもプレイしたんだ。彼らの子どもたちもみんな同じ学校に通っているからね。自分の子どもをあの学校に通わせている親たちは、超クールなコンサートを観られたんだよ。たった150人くらいだぜ。学校のフットボール・グラウンドで開催されたんだ。本当に凄かったよ。

ポールとエリックにとって、キッスのオフ・ツアー期のサイド・プロジェクトとして、ソウル・ミュージックはぴったりだったのだろうか?

P:俺の音楽のルーツはみんなが思っている以上に多様なんだ。エリックもそうだよ。だからそれが俺たちの共通部分と言える。俺はクラシック音楽、ブロードウェイ、オペラを聴いて育った。大きくなるにつれて、オーティス・レディングやザ・テンプテーションズを観るようになってね。俺のルーツはレッド・ツェッペリンのようにフィリー・ソウルやモータウンだった。自分の音楽にもたらすもの、つまり自分の音楽とは異なるものが、自分の音楽に得意性をもたらすんだ。似通ったものだと単に冗長になるだけだ。近いもの同士で納まってしまう。

だが、自分のジャンル外にルーツがあると、別の何かを提供することができる。音楽には2タイプある。良いか悪いかだ。良いロックンロールもあれば酷いのもある。最悪なジャズってのいうもある。エリックとはもうかなり長い間プレイしているから、……こういうことって付き合いの長いプレイヤーとはよくあると思うけど、俺たちは会話しなくても直感的にお互いが何を考えているのがわかるんだよ。エリックには俺が考えていることがわかっているんだ。

E:何が欲しいのかもわかるよ! それが一番重要なのかもしれないな。俺はポールの好みの傾向がわかるんだ。俺は合わせるのが得意で、ポールのリードに任せているし、ポールがどう感じてどういうふうにもっていきたいのか予想できる。今日リハーサルで話した時みたいに、俺は他のプレイヤーよりもポールに合わせるのが得意だ。もう慣れているからね。俺にはポールがどう感じているかを感じ取るセンスがあるんだ。

ポールはエリックのリズム・アンカーとしての役割にいたく感心しているようだ。

P:だけどエリックは……俺が思うに、エリックは音楽業界では過小評価され過ぎているんだ。彼は最高のプレイヤーだぜ。驚異的なドラマーだ。ただロックをプレイするからというわけじゃなく、ロックとはまったく異なるバックグラウンドがあるからなんだよ。このタイプの音楽、つまりソウル・ステーションでプレイするっていうのは、かなり無謀なことだよ。そもそもがハードロック・バンドから連れてきたプレイヤーとやることじゃないしね。

だけどエリックはしっかり訓練されていて、音楽を理解しているプレイヤーだ。その上でのボーナスなんだよ。キッスに加入した時も彼が優れたシンガー(歌い手)だとは気付いてなかったからね。正直に話すと、歳をとると俺たちの声もかつてのようには出なくなる。どんなアスリートの身体もそうであるのと同じようにね。だがエリックは声を張ることができるんだぜ。すごいだろ!? エリックが今ここにいるから言っているんじゃないよ。彼は素晴らしいヤツだし、一緒にプレイするには最高の人物だと思っている。

2人の有名なロック・スターが急にソウル・バンドを始めたことに驚くファンもいるだろう。ソウル・ステーションで初めてプレイした時、ファンがどう思うのか気にならなかったのだろうか?

E:どうってことはなかったよ。というのも、ポールが言うように、見えているもの以上の何かがあるからだ。バンドであれソロであれ、そのプレイヤーを初めて観た時に、プレイしていた音楽のジャンルしか知らないファンがいると、俺たちはいつもこう言うんだ。LA中の誰もが、俺が“エリック・シンガーというロック・ドラマー”だということを知ってはいるが、成長期の頃、俺が父親のバンドでプレイしていたことは知らない。当時はスタンダード・ナンバーをプレイしていたし、オペラやコミュニティ・シアターにも通っていた。それからあるバンドのリーダーをしていた頃は、シンフォニーやオペラにも通ったしね。いろんなタイプの音楽を経験したし、プレイしたよ。もともと俺はロック・ドラマーではなくて、そういったタイプのドラマーだったんだ。それが俺が若いころにプレイしていた音楽だからね。でもずっとロック・ドラマーになりたいと思っていたし、俺にはできると信じていた。機会さえあれば俺は上手くやれるってね。そして、その機会が巡ってきた時、本当に上手くいったんだ。俺は絶対できるって信じていた。子どもの頃、よく「どう思った? どう感じた?」って訊かれたけど、俺の場合、よくコンサートに行っていて自分の部屋の壁にポスターを貼っていたんだ。雑誌も買っていた。俺はできないなんて思わなかった。根拠はないけど、俺はいつも『お前はロックをやることになっている』って自分に言い聞かせていた。少しばかりは成功経験があったからそうやって言うのは簡単だった。でも、子どもの頃からずっとそう思ってきたんだよ。機会さえあれば俺は必ずものにして見せるって思っていたんだ。実際に機会が訪れた時、俺は呑み込みが早くて慣れるのも早くてすぐに習得したよ。少なくともそうだったはずだよ。

P:初めてプレイする時に、ナーヴァスにはならなかったな。俺たちは素晴らしいってわかっていたしね。客が入るか入らないかっていうのは別の話だ。『キッスで歌っているヤツがモータウンとかフィリー・ソウルをプレイするらしいぜ』『マジで!?』ってなるだろうし、始めた当初から今でも、俺はオーディエンスが“Love Gun”を聴きに来たとしても、やらないよ。俺のギター・プレイを期待しても、俺はギターを弾かないよ、って念押ししているよ。それってルールや人間関係をかなり変えることなんだよね。俺がソロ・バンドを率いたとしたら、ただ脇道を進んでいるという感じだが、ソウル・ステーションのことはそう思っていない。俺のバック・バンドだとは思っていないんだ。俺はこのバンドのメンバーだ。俺のバック・アップなんかに興味はない。バンドとして俺たちが楽しんでいられる理由は、俺はメンバーの誰もがフィーチャーされたいと思うからだ。

E:みんな平等なんだよ。そこに何の疑いもないね。シンガー全員に活躍の場がある。それに音楽が素晴らしいから、その音楽に忠実でいる限りみんなが輝ける。素材が強固だから間違いないね。

P:俺たちはソウル・ミュージックを再アレンジしてプレイしているんじゃない。レコーディングされたとおりにプレイしている。不幸なことに当時のバンドが、スピード・アップ・ヴァージョンやラスヴェガス用にアレンジしてプレイしているのを観るとがっかりするよ。俺もそうだけど、みんなもそれぞれの記憶にあるとおりの、本来そうあるべき姿でリスペクトを持ってプレイされることを望んでいるんだ。最初のショウについての初めての打ち合わせで、俺は『バンドがプレイして俺が登場するっていうも1つのやり方だが、俺はバンドと一緒に登場する。俺たち全員がこのバンドだからだ。それではみなさん、〇〇の登場です……っていうのとは違うんだよ』って言ったんだ。俺はみんなが尊重されているだけではなく、必要不可欠だと思って欲しいんだ。『この夏あなたがショウをするなら、こういうミュージシャンがいますけどどうですか?』というんじゃないんだよ。これはバンドなんだ!

キッスでは、ポール・スタンリーは歌うだけではなくギターもプレイしている。一方、ソウル・ステーションではヴォーカルのみだ。これがステージ上の彼のプレイに違いを生むのかもしれない。

E:問題ないよ。ポールはダンスもできるんだ。上手いぜ。良いパフォーマーだよ。ギターの代わりにマイク・スタンドもあるし、って俺は思っている。それにバック・コーラスの女の子たちもいる。周りは小道具だらけだよ。

P:エリックは絶対不可欠な存在だし、俺は彼に頼っている。素晴らしいドラマーは頼れる存在なんだよ。エリックは頑固じゃないし、信頼できる。完璧なプレイヤーだ。

E:一つ言っておきたいことがあるんだ。ポールの言っていることを否定するんじゃなくて、さっき、良いことを言ってくれたと思ってね……。曲を習得するとき、俺はいつも自宅でやるようにしている。というのも、ソウル・ステーションのメンバーはみんな楽譜に集中しているんだよ。実際に楽譜を持ってやってくるんだぜ。いつも楽譜とにらめっこだ。俺はみんなに知ってほしいと思っていることがあるんだ。ずっと前に、ポールから歌う時のセオリーを教えてもらったんだけど、俺はそれを、曲をプレイするときにも当てはめて考えたんだ。『何をプレイしているのか理解しろ、曲を理解しろ』ってね。何を歌っているのかを理解すれば、それが本物になる。それで俺はプレイする時もそれを当てはめた。素材を理解すれば、ただ本を読んでいるようなプレイではなくて本物のプレイになるだろうって思って。俺が目から鱗が落ちたように思えたのは、かなり多くのアーティストたちが、バンドも含めてだけど、彼らのプレイする曲はレコードに忠実にじゃないんだ。テンポは速いしドラマーはアルバム通りのビートを刻んでない。かなり驚いたよ。それで俺たちは曲に忠実にプレイしよう、パートもテンポも曲が書かれたとおりにプレイしようってね。その方が絶対に良いプレイになるって思っている。

P:ヴォーカルに関していうと、特に長年の間に何度もヴォーカルが入れ替わっているようなバンドだと、曲を理解して歌ってはいないなと感じる。中国語で歌ったほうがましなんじゃないか?って思うよ。というのも、今までに一度でもちゃんと歌詞を理解しようとしたことがあるか? 歌詞を暗記しているだろうが、その歌詞の意味するものはなんなのか? 何を言わんとしているのか? 他の場面でいうと、テレビのタレント・ショウを観ていて思うんだけど、『この出演者はラテン語で歌った方がましじゃないか!? この曲が何について歌われているのかまったく理解してないぜ』って妻に言ったことがある。メロディの問題でもなければ歌詞の暗記の問題でもない。何を歌っているのかを理解することが肝心なんだ。

E:正直なところ、俺は曲のヴァイブに乗って即興でプレイするんだ。ギターがすごく好きだから、まさにヴァイブやリフがすべてって感じなんだよ。俺が音楽的に魅了されているのはそこなんだ。しかもソウル・ミュージックの歌詞は素晴らしい。曲も素晴らしいけど、歌詞にはもっと深みがある。恋愛関係や情熱について語っているんだ。本当にグレイトだ。“Let’s Stay Together”の歌詞なんて最高だぜ。

キッスと日本の間には、1970年代以来の密接な関係がある。キッスだけではなくソウル・ステーション、ジーン・シモンズ・バンド、そしてエリック・シンガー・プロジェクトは日本で成功を収めている。前回のキッスのジャパン・ツアーは2015年に行なわれ、日本のポップ・グループ、ももいろクローバーZとのコラボ曲がナンバー1ヒットを記録した。2016年にはジーン・シモンズ主催の『KISS EXPO TOKYO』が開催され、これも成功した。キッスが築き上げるものすべてに長きにわたって日本のファンが魅了されるのは、なぜなのか?

E:俺たちがブリティッシュ・ロックに魅了されるのと同じだよ。俺たちの音楽をパッケージし直して世に出すんだ。それが西の方に進み続けて海を渡ったんだと思う。魅了されたのはファッションであって、文化そのものだ。

P:俺はそれを超えていると思う。俺たちと日本とのつながりには、俺たちがいかに日本が好きであるかを知ることが基本にあるんだと思う。どれだけ日本を敬えるか。素晴らしい関係は、相互関係のもとに成り立つ。ギブ・アンド・テイクが根底にあるんだ。長年にわたり、俺たちはいかに日本に夢中だったかを証明してきた。だからそのお返しだと思っている。単に音楽とか文化だけというものじゃない。俺たちはそれをも超えたんだ。心の通ったものだよ。

Text and photo: ステファン・ニルソン (Stefan Nilsson)

Japanese translation by SAKEBI: KISS Fanzine